真田丸の隠しテーマは?三谷幸喜が語る最強武将ナレーションの役割

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生き抜く勘のある父から息子たちは何を学ぶか

真田信繁は好きですが、実は、戦国時代にそんなに興味があったわけではありません。穏やかな性格なので、争いごとがあまり好きではないんです。本当は江戸時代中期とか、のんびりした時代のほうが好みです。だから、この時代を描くにあたっては、もちろん基本的なことは知っていましたが、改めて勉強し直しました。

改めて資料を読み込み、いちばん感じたのは、当たり前なんだけど、現代の尺度で当時を見てはいけないということ。そういう意味では、幕末のほうがはるかに書きやすい。まだ今と地続きのような気がしますから。戦国は全くの別世界。善悪の基準一つ取っても、今とはぜんぜん違う。

例えば、側室問題。信繁には側室がたくさんいましたが、それも現代人には、ひっかかるところ。でも、当時は当たり前だったんですよね。今回は、信繁を描くうえで側室は避けては通れないので、きちんと描くつもりですが、そのうえで、視聴者が見ても違和感のないような描き方をしたい。その辺のさじ加減が難しいです。

「戦を終わらせ、平和な世界を作るぞ」的な会話も、今回はあえて避けるつもりです。戦国の人々は、明日死ぬかもしれない状況で、毎日を死に物狂いで生きていました。人生観も死生観も現代とは当然違うわけで、そもそも平和の概念がどれだけあったのか。

とは言っても、(戦をしないで済むなら、したくないなあ)くらいは考えていたと思うんです。やっぱり斬られたら痛いのは、昔も同じですから。そういう生物学レベルで、戦国を描いてみたい。つまりは目線を下げるということ。大河ドラマは「ドラマ」なんです。歴史の再現ではない。やはり、登場人物の息吹が感じられないと、ドラマとしておもしろくありませんからね。

さて、そんな戦国の時代に、真田一族はどう生きていたのか。まず、長野という土地がおもしろいと思いました。京都や大阪からも関東からも近く、一地方ではあるんだけども中央とも結び付いている。ほかのどの地方とも違う、不思議な位置に長野はある。だから有力大名たちは、皆、ここを欲しがった。まさに真田一族の物語は、この土地だからこそ、生まれたといってもいいと思います。

そして、その有力大名たちと渡り合っていく昌幸がまたおもしろい。短い間に、武田から上杉、徳川、北条、織田と渡り歩き、そして次々に離反する。行動だけを見れば、もう無茶苦茶です。ドラマに描くのが、とても難しい人物。でもあるとき、「真田昌幸は長嶋茂雄だ」と思った瞬間に見えたものがあった。恐らく、理屈ではなく感性の人だったのではないか。昌幸は、生き残るために必要な『勘』のようなものが異様に冴えていたように思います。そして実際、彼は生き残った。

策略をめぐらせ、上杉、徳川、北条といった大大名たちと渡り合っていたときの昌幸は、きっと、かなりのアドレナリンが出ていたんじゃないかな。生きているという充実感というか。でも、その先に突然現れたのが、決して越えることのできない『羽柴秀吉』という巨大な壁だったわけで、そこがなんだか、とても悲しい。結局、彼は秀吉の下につきますが、安定はしたかもしれないけれども、それは昌幸にとって幸せなことだったのか。

物語の序盤は、そこに至るまでの戦国版『三国志』と言うべき『天正壬午の乱』を丹念に描きます。全く先が読めない、緊張の連続。視聴者の皆さんもアドレナリン出まくりだと思いますよ。

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